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休題 Cの回想録

Author: 土浦タカ
last update publish date: 2026-09-16 19:15:57

―― 休題 Cの回想録 ――

何て腹の立つ奴だ、というのがシリルがイレヱヌに対して抱いた印象だ。

シリルは産まれながらに総てを与えられた人間だった。銀の匙を咥えて産まれた処か、しゃぶりついて産まれてきた状態だ。ベネディクト家は英吉利で旧くから存在する家柄で祖先は王族とも血縁関係にある事が実家の羊皮紙で作られた家系図のタペストリィからも確認出来る。富、名誉、地位という総ての人間が欲して止まない者を自分は産まれながらに持っている。そして、シリルは何もない、空っぽな人生を歩んでいる事も日に日に気付く事になった。

朝食を摂りに食堂ダイニングに向かうとシリルだけしか居なかった。「父さん、母さんは?」シリルが生まれる前からベネディクト家に仕える執事バトラアに訊くと「旦那様は仕事に向かわれました。奥様は外にお出掛けです」と想像していた通りの答えが返ってくる。朝、部屋の窓から父親のキャデラック・フリートウッドが家の門から出るのを見た。きっと外で作った愛人の元へいそいそと向かったのだろう。おそらく母親はそろそろ酔って朝帰りをする。両手には抱えきれないほどドレスや宝飾品、毛皮があるに違いない。二人とも自分達息子には一切の興味が無い。家庭内は完全に壊れていたのに何故か両親は離婚をする事はなく、世間の目に曝される度に、立派な政治家の優しい夫と貞淑で上品な妻という偽りの姿を演じ続けた。(うちは、完全に壊れている)シリルはある時期からそう感じた。アガサ・クリスティーの“ねじれた家”と其の引用元であるマザーグースの“ねじれた男”を思い出した。

There was a crooked man, and he walked a crooked mile,

ねじれた男がいて ねじれた道を一マイル歩き

He found a crooked sixpence against a crooked stile;

ねじれた六ペンス硬貨を ねじれた踏み段のところで見つけた

He bought a crooked cat, which caught a crooked mouse,

ねじれた猫を買ったら その猫がねじれた鼠をつかまえた

And they all lived together in a little crooked house.

そしてみんな一緒に小さなねじれた家に住んだ

(うちはねじれている。人間も、何もかも)

そして其のねじれは自分も例外ではなかった。産まれながらに何もかも手に入れているのに何一つ欲しいものは手に入らない人生。子供から大人まで自分を品定めし媚を売ってくる。其の賤しい目がシリルは大嫌いだった。両親の無関心と赤の他人からの媚びへつらいはシリルを日に日に歪に卑屈な増長をさせるものだった。両親からの関心を買えない分を赤の他人からの羨望と嫉妬によって埋めるという日々が続いた結果、結局他人など信用できない、という悪循環だった。ヘンリイ、エドガアが居なければシリルは確実に孤独な毎日を送って居ただろう。

イレヱヌは何もかもに無関心なように見えた。碧眼は耀の加減で紫にも藍色にも見える。そして其の眼は何も映さない。只ぼんやりとした状態で外を眺めるのみだった。シリルはそんなイレヱヌの様子を見て昔母の部屋で見つけた画集の絵を思い出した。芸術に余り関心が無いため画家の名前を思い出せないが其の絵の事は憶えている。木の枝から落ちて川に転落し、今にも溺死しようとしている女の絵だった。輝く艶やかな金髪、真っ白で陶器人形ビスクドオルを思わせる肌、虚ろな何も映さない瞳。イレヱヌは其の絵を彷彿とさせる少女だった。気紛れに話し掛けてやると鬱陶しげに一瞥するだけで返事すらしないことも珍しくない。いっそ石でも投げつけてやろうかと思ったこともある程だ。(一体何様のつもりなんだ。俺を誰だと思ってる)苛立ちと共にイレヱヌの存在は日に日にシリルの中で大きく育っていくのを感じた。否定したくても夢にまで出てきてシリルをどんどん追い詰めた。夢の中では此方を見詰めてにっこりと微笑んだ。其れだけで厭でも胸が高鳴る。目を醒ますと全身が汗でびっしょりと濡れている。全身の血が沸騰するような感覚に陥る。心臓の鼓動が酷く耳障りだった。「最悪だ……」思わず一人呟いた。

とうとう認めざるを得なくなった。認めたくないけれど自分は彼奴の事がどうしようもなく好きだ。けれど此れまで散々な態度を取ってきた自覚はあるから此方を振り向く事は有り得ないと理解わかっていた。

(俺の方が先に好きだったのに)そう思っても、そんな事が何の意味が無いことも勿論よく理解わかっていた。(でも、あんなオカマ野郎に負けるつもりは無い)

そもそもまともな親があんな奴との交際を許す筈がない。学校に居ながら授業に出席せずに先輩達とトイレで言語に絶した悍ましい行為にふけるような変態だ。おまけに恋人だってしょっちゅう変わっている。自分に付け入る隙位はある筈だ、と確信していた。其れにイレヱヌは今のところは好きではあるようだがどちらかというと受け身で流されている様に見える。

(他に良い奴が出来たらそっちに行く筈だ。其れか彼奴に幻滅するのが先か)

其の瞬間は思いの外早く訪れたようだ。何があったのか夕食の時セシルは頬の片側が赤く腫れていた時があったのだ。イレヱヌに至ってはビュッフェには見当たらない。アンヌ、ジュリエットの会話を聞くとどうやら喧嘩をしたらしい。(早速かよ。オカマ野郎)心中でシリルは唾棄する。どうせ彼奴が原因だろう。彼奴が何かイレヱヌを幻滅させるか傷付けるような事をしたに違いない、と確信する。そして其のまま数日が経過した。

「セシル、頼むからイレヱヌと仲直りしてくれよ」男子寮の談話室でシリルがエドガア、ヘンリイと自習をしているとレナートの声が聞こえた。

「……何でレナートにそんな事言われなきゃいけないの」むすっとした顔でセシルが憤慨していた。どうやらかなり虫の居所が悪かったらしい。其れにはお構い無しに「今めちゃくちゃ空気悪いからに決まってるだろ!?後今アンヌとジュリエットがイレヱヌの心配をしてていつもイレヱヌと一緒に居るからビュッフェも中庭もアンヌと過ごしたくても過ごせないんだよ!やっとデエトまで出来るようになったのに!」

レナートが悲嘆に暮れた叫び声をあげるとエンリケが続けて「俺なんてジュリエットをデエトに誘う事も出来ないんだぞ。アンヌとジュリエットから理由は少し聞いたけどお前が酷いこと言ったんだろ?お前が原因なんだからそっちから謝れよ」とぶすっとした顔で言った。二人とも動機はどうあれ言ってることはもっともだ、とシリルは思う。

「アンヌとジュリエットにも謝るようにって言われて疲れてたのに僕は寮でもそんな事言われないといけないの?」セシルは不貞腐れてそう吐き捨てる。自分で原因を作っておいてよくもそんな態度がとれるな、と何故か腹立たしく思っていると

「お前なあ、何時までそんな態度でいられると思ってるんだよ?」とヘンリイが呆れた声でそう言った。まさかヘンリイまで会話に参加するとは思わず少し驚いていると「そうだぞ。お前此のままだと間違いなく捨てられるぞ。そんな餓鬼みたいな態度で良いと思ってんのかよ?」とエドガアも諭そうとした。セシルは唇を尖らせてむっつりと黙り込む。まるで我が儘な子供そのものだ。(この期に及んでよくもそんな振る舞いか出来るな)自分でも理由の理解わからない怒りが込み上げる。二人が別れるのは自分にとって好都合の筈なのにそれでも腹が立って仕方がなかった。

「お前、まさかずっと相手から好かれるのが当然だとでも思っているのか?」我慢できずに思わずそう言った。セシルが目を細め不快そうな顔を此方に向けてくる。

「お前なんか、誰とでも平気で股開けるし直ぐに手を出す最低野郎じゃねえか。ただ都合の良い性欲処理として利用された事位しか無いだろう」

シリルの余りの侮辱にセシルの顔が真っ赤になった。

「何それ」血走った眼でシリルを睨み付けた。

「僕が誰からも愛された試しが無いっていうの?」「今まではそうだったろう」シリルは鼻で嗤う。何もおかしくないのに笑いが込み上げる。「相手も自分も大事にしない奴が、誰から愛されるって言うんだ?」言葉を続けるとセシルは黙り込んだ。両手で拳を握りしめ、俯いている。「此のままだと間違いなく愛想を尽かされて終わるだろうな。お前と付き合うまでは彼奴は色んな奴と試しに二人で過ごす位はしてたし」シリルは突き放す様に言った。

「へえー自分も其の一人だって言いたい訳?」セシルは顔を歪めてシリルを睨め付ける。口許だけが笑おうとして失敗したように歪んでいた。「さあ?どうだろうな」シリルはそんなセシルの問いをはぐらかす。「ただ、若しそうなった時にお前には文句を言う権利なんかねえよ」シリルはそう言って一瞥もせずに自分の部屋に行く。(此れでも尚そんな甘ったれた餓鬼みたいな態度でいられると思うならお前は俺が認識する以上に馬鹿で最低な軽蔑に値する奴だ)心の中でセシルに向かって吐き捨てた。セシルとイレヱヌの仲は元通りになったらしい。良くも悪くも目立つ二人だ。あっという間にその事は学院中に広まった。ようやっと平穏が戻って来たことに皆ほっとしている様だった。ヘンリイとエドガアもほっとしていた。エドガアが「シリルが態々あんなこと言ってやるなんて思わなかった」と意外そうに言い、ヘンリイも頷きながら同意する。「そうか?鬱陶しくて仕方ないだろ。あんな状態」ラテン語の予習をしながらシリルが答える。「其れはそうだけど…。でも良いのか?だってシリルは…」遠慮がちにヘンリイが言葉を絞り出そうとする。「良いんだ」シリルは黙々と予習を続けながら其れを遮ってきっぱりと答える。「彼奴が暗い顔してるのを見たい訳じゃない」ヘンリイとエドガアが感心したような憐れむような眼差しをしているのを眼の端で捉える。

(良いんだ。此れで)シリルの言葉に偽りは無い。(弱っている所を付け入るなんて、そんな卑怯な奴に俺はなりたくない。そんな形は望まない)シリルは自分で自分を恥じるような人間にだけはなりたくなかった。

「シリル……セシルに皆と一緒に仲直りするようにって言ってくれたんでしょう?あの…ありがとう…」古典の授業が始まる前にイレヱヌにそう声をかけられた。まさか直接お礼を言われるとは思わずやや面食らった。

「大したことしてねえよ」そう返した。実際大したことはしていない。ごくごく当たり前の事を言っただけだ。

「でもシリル達が居てくれなかったらあたし達もう駄目になってたかもしれない…。本当にありがとう…」イレヱヌは言葉を噛み締める様に再度お礼を言った。

「大袈裟だな」思わず笑ってしまう。

「彼奴、お前の事大好きだろ。心配要らねえよ」シリルの其の言葉に「先の事なんて、断言は出来ないわよ。そうでしょう?」とイレヱヌは返した。こいつなりに不安を感じているのか、とシリルは少し意外に思う。しかし其れは意外に思うことではない、と気付いた。一時期将来の事で悩み、弱っている姿を見せる位には先々の事を心配する性格なのは分かっていた。

「まああんまり悩み過ぎるなよ」シリルは出来る限り優しい声でイレヱヌに話し掛ける。「頼りないかもしれないけど、俺達だっているんだから」そう言って微笑わらいかけるとイレヱヌもつられて微笑わらい返した。(此れで良い)シリルはその微笑わらいを見て自分でそう納得する。セシルと付き合い続けるのがイレヱヌにとって最良の未來とは思わない。もっと他にいる筈だ。其れでもイレヱヌがセシルを求めている限りは態々二人を引き裂く必要はない。勿論簡単には諦めるつもりもないが。大いに矛盾した内心だが、総てがシリルにとっては本心だった。

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